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アメリカンビジネスマンになった立野彰一プロの現在の生活 [米国庭球見聞録]

【1999年の秋から「テニスジャーナル誌」に連載をした、「米国庭球見聞記第2回」】

ロサンゼルスの近郊、ロサンゼルスカウンティ サウスベイ地区のランチョ・パロス・バルデスは遥か大平洋を望む閑静な住宅地。国際空港から車で20分そこそこで行き来できる場所にもかかわらず、日本でいう軽井沢のような気候と、多くの緑に囲まれた町並みが続くところです。
 ジュニアの頃から類い稀な才能と、長身、骨太な体格を生かし、きれいなサーブとカミソリのように鋭いバックハンドで、早稲田大学3年生の時には、インカレに優勝。その後2年間のアメリカ武者修行を経て、帰国後プロに転向。全日本室内選手権ベスト4、等の戦績を残し(JOP最高位ー2位)1988年に現役を引退した”立野彰一君”は現在この地を拠点とし、全米各地を(あるときはヨーロッパまで足を運ぶ)動き回るビジネスマンとして活躍しています。
 プロテニスプレイヤーだった彼はその後、日本テニス協会でのジュニア育成に助力した後、港区は高輪に本店を構える中古カメラの売買では、日本一の老舗”松坂屋写真商事”に入社。2年間の店頭接客を経験した後、子会社である”MacカメラUSA”に出向となり、一家揃って移住となったそうです。
 そんな彼の仕事は、毎週末にアメリカ国内の各地で開催されるカメラショウに出掛け、ライカ、ロ-ライ等で有名なクラシック、コレクターズカメラの買い付けです。金曜日の朝、何万ドルという現金を腹巻きに仕舞込み、ある週はニューヨーク、次の週はオーランドまたはシカゴへとロサンゼルスから飛び立って行くのです(もちろんヨーロッパにも)。
 クラシックカメラは最近日本国内に於いても大変な人気らしく、週末に買い付けてきたカメラは翌日の月曜日と火曜日にしっかりと梱包をして日本に出荷するというのが現在の彼の毎週のペースです。
そんな訳ですから、かれの休日は水曜日と木曜日。おおいにテニスライフを満喫しています。

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ジャッククレーマーテニスクラブの前での立野君・体型は現役時代とほとんどかわらず


アメリカ国内の大都市では会員制のテニスクラブが沢山あります。この国ではテニスコートなんてものはいやというほどいっぱいあり(もちろんタダでプレーすることができる)コートに困るなんてことはまったく心配有りません。にもかかわらず、会員制のクラブに巨額の入会金を納めてでも入りたいという人達が沢山存在するのは、各々のクラブの持つ伝統とか格式によるのもや、会員であることのステータスを得るということももちろんですが、会員権に対する投資という意味あいも含まれています。アメリカのプライベートテニスクラブの殆どが日本のゴルフ倶楽部と同様の譲渡売買可能なシステムだからなのです。

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ご多聞にもれず、立野君もロサンゼルスも名門中の名門”ジャック クレ-マ- テニスクラブ”のメンバーです。全米テニス史上最強のプレーヤー、あのジャッククレーマーのテニスクラブは、今やビバリーヒルズを抜いて、アメリカ国内最高の住宅地として有名な”ローリングヒルズ”のなかにある由緒正しきプライベートクラブで、サンプラス、ダベンポートはこのクラブで育ちました。(彼等の卒業した高校も近くの丘の上にあり、ここのテニスチームのメンバーになるには、なかなかの難関のようです)現在もプロにならなかった大学テニスチーム出身の選手や、オースチンファミリ-などのかなりのレベルの方達がこのクラブでテニスを楽しんでいます。(どうもこのクラブの中で立野君は自身が元プロプレーヤーだったことは言っていないらしい位のレベル)
 ボクが彼に案内されて訪れたときは丁度夏休み中であり、ジュニアメンバー(ファミリーメンバー)のリーグ戦のようなものをやっていましたが、マア日本の子供達のほうがよっぽどうまいかなって感じ。試合をして、プールに入ってといったクラブライフを楽しんでいました。
 なにしろ著名人の集まるところで、コートは各々寄付によりできています。センターコートはもちろんジャッククレーマーによるものですが、その他、ケンローズウオール、ロッドレーバー、ロイエマーソン、ドンバッチ、トレーシーオースチンの名前がプレートとして各コートに刻み込まれています。これにはチョット感動でした。近い将来アメリカンドリームを掴んだ、ショーイチ・タツノのプレートがこの中のひとりになることを期待しつつクラブを後にしました。

立野君は家族と共に別のクラブにも入会しています。先月号でチョットご紹介したペニンシュララケットクラブという自宅から車で10分位で行くことができるところです。ダテックに良く似た長女の里佳ちゃんは左右とも両手討ち。まだ日本で言う小学校の4年生になるところですが、4年前サンディエゴで行われた東芝クラシックでサンチェスを決勝で破った伊達公子さんの試合を両親に連れていかれ観戦してから大のテニスファン(ダテックファンかもしれない?)になってしまい、今はロス駐在員のテニス好き奥様達と一緒になって、テニスに狂ってしまったタツノワイフと同じ位のペースで(つまりほぼ毎日の意)テニスに明け暮れています。次世代の日本を背負って立つ存在になってほしいものです。
 実は彼のアパートには、ジャグジ-付きのテニスコートもあったりして、ふざけんなコノヤロー状態です。もちろんタダで使えちゃう訳ですから、われわれ”今度はどこのコートでやろうか?”なんてレベルとは、正反対なテニスライフを送っていて羨ましいことこの上なし。テニスのことだけを考えたらいっそのこと移住しちゃおうかなと思ってしまうくらいです。
 広大な土地に多くの移民を受け入れ人工的に成熟した国家を作り上げたアメリカならではのテニスをとりまく環境。それは我が国とは比べ物にならないスケールの違いを感じざるを得ない状況です。これだもの次々と選手が出てくるはずだと実感しました。
 古くはアーサーアッシュから、今ではウイリアムス姉妹まで、タダでできるいわゆるパブリックコート出身のプレーヤーがクローズアップされるなか、サンプラスやアガシのようにプライベートクラブから育った選手もまた、沢山いるようにこの国でのテニス発展の土壌はあまりに幅広く、これがアメリカンテニスの象徴ともいえるような気がします。
 このあたりの所は立野くんが武者修行時代に過ごしたサンディエゴのテニス事情と併せて次号にてレポートします。

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ペニンシュララケットクラブのヘッドコーチ・クリスティン 
サテライトを回っていた経験を活かしてのレッスン 
抱えられているのが自称ダテック/リカ/タツノ

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